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日々の想いを綴るブログ。

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やりたい事をやる

2008 - 05/28 [Wed] - 23:31

昨日、久し振りに時間ができ、DVDを観ました。

『ハイスクール・ミュージカル』というアメリカのドラマ(の映画版)で、

ディズニーチャンネルの人気番組との事。

1時間半のドラマがすべてミュージカル調になっていて、

気楽に楽しむ事ができました。


ハイスクールのバスケ部でスターの主人公が、

ある女の子との出会いをきっかけに、

実は歌が好きだという事に気がつきます。

でも仲間には到底言えず・・・。

そして、みんなに隠れてこっそりと

校内ミュージカルのオーディションを受けようとするお話。



本当に好きな事があるのに、かっこ悪くて言えない・・・って事、

私も結構ありました。言えないだけでなく、辞めてしまった事も。


小学生のころ、マンガを描くのが大好きだったのに

中学校に入ったら、暗いと思われたくなくて、辞めてしまった。

『おたく』という言葉が生まれた事が、悲しかったのを覚えています。


小学生のころ、歌を歌う事が大好きだったのに、中学生になって

『音楽で真剣に歌うのはダサい』という空気に負けてしまった。

大きな声で歌うのが好きだったけど、出来なくなりました。


小学生のころ、少年マンガが大好きだったのに、

中学生になったら恥ずかしくなって、

兄と一緒に少年ジャンプを読んでいるとは言えなかった。

男の子たちが『先週のジャンプ』について話しているのを

羨ましく思っていました。・・・でも、言えない!


他人の目線、他人の価値観を気にして、

自分の好きなこと、価値を置いているものを

どんどん変えていってしまう・・・そんな事をしながら、

自分らしさと引き換えに、社会に順応するチカラを身につけて

いったのかも知れません。

そうしているうちに、他人に合わせる事は出来ても、

自分らしさを表に出す事が出来なくなっていきました。



そのドラマの主人公も、結局仲間に説得され

歌よりバスケを取ろうとします。

歌のパートナーであるガールフレンドに嫌われても。

しかしその途端に、バスケでも失敗を繰り返すようになるのです。



自分らしさを失うと、様々な面で障害が出てきます。

私の場合は、絵や歌や、マンガを辞めた事自体は大した事ではなくても、

結局 『これが好きと言ったら、どう思われるか』 という事を気にして、

自分らしさを表に出せないという性格が生み出されました。

他人に好かれる自分を演じる、そんな人生です。

また、それが変にうまくいったりするものだから、

余計に『自分らしさを出さず、うまくやる』という事が染みついてしまいました。


でも、やっぱりそれではつまらないのです。

自分は自分でいたい、

そんな内側からの声に押されるように、少しずつ

自分自身の価値観を大切にしたいと思うようになりました。


他人がどう思うかではない。

自分がどう思うか。

自分が納得できる生き方が出来なかった責任は、

だれも取ってくれないのです。



最後は試合も歌も、彼女との関係もすべてうまくいき、

仲間も応援してくれるようになります。

その中で最も印象的な場面は、主人公のカミングアウトに触発され、

バスケ部の少年が、お菓子作りが好きな事を告白したり。

秀才の女の子が、HIP HOPが好きだという事を告白したり。

スケボー少年が、クラシックが好きだという事を告白したり。

みんなが、自由に輝き始めて終わる、ラストの場面。

ミュージカルですから、歌って踊って、

本当にハッピーエンド!という感じでした。



みんな、自分らしさを他人に合わせて作っている、

でも本当は、本当の輝きをそれぞれが持っている。

自然体で生きる存在の周りには、

自然体で生きる人たちが集まってくるのですね。


他人に好かれる自分を作っていた時と、

自分らしい自分でいる場面が増えた今では、

周りにいる人たちが違う気がします。

もしかしたら、前から周りにいた人たちが

私との関係性を変えてくれたのかも知れません。


本当の自分を消そうとする経験をしたからこそ、

本当の自分でいたいと思える今にたどり着いたのです。

自ら消したマンガや歌の才能を、無駄にしないように

新たな輝きを得て、生きて行きたいですね(^-^)


疲れた時にはディズニー映画。

オススメです!









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選べる自由

2008 - 05/25 [Sun] - 00:35

かつて私は、『こんなこと、わたしにはできない』と

思う事がとても多くありました。


それから少しずつ変化し、

『自分がやりたいと思う事は、とりあえずやろう』と

自分に許可ができる範囲が大分広くなりました。

最近は、出来る・出来ないに関わらず、

まずは直感に従ってやってみています。


『やりたいと思う事』自体の範囲も広がり、

行動力がアップした事により御縁も広がった私に、

ある日とっても嬉しい話が飛び込んできました。


かつての私だったら、出会う事もないような方から

突然お食事の誘いを頂いたのです。

割と有名人で、著書も多数あり、カリスマ性もあり、豊かで・・・

人間的にも、本当に素敵な人です。そんな人と、

個人的にお近づきになれるなんて、すごい事です!

でもその日は前もって決めていた予定もあり、

どうしよう・・・と考えました。


ちょうどその時は、ものすごく忙しい一週間の真っ只中。

でも、相手は私よりも更に多忙な人だし、

このチャンスを逃すと二度とないかもしれない。

チャンスを掴むには、瞬発力だというし・・・

これで行かなければ、後悔するのでは!?と思いました。


が、結局前もって決めていた予定・・・

『晩御飯をつくる。洗濯物を片づける』という事を優先しました。


家を出るとき、忙しすぎて何もできない日々が続いていた私は

『今日は早く帰って、ちゃんとご飯作るね!』と

家族に約束していたのでした。


『やっぱり、用事が出来て、今日はご飯作れない』

と、言えば済む事だったかもしれません。

家族はその日を特別とは思わず、

その方と食事ができるのは、特別な事なのかも知れません。

その方とは、本当に会いたかったけれど。

お誘いは本当にうれしかったけれど。

もともとあった約束を破棄したりしながら

今後付き合っていくというのは、

全く私の望む形ではないので、

今回は泣く泣くお断りしたのでした。


数日後、その方からの食事の誘いがあった事、

それを断った事をその方を知る知人に話したら、

『なんてもったいない!!しかも用事って、家に帰る事だったなんて・・・』

と、とっても驚かれました。


が、その数日後、『では、日を改めましょう』と、

ご連絡を頂く事が出来、私の中でその方との繋がりが

『無理をしてでも繋がりたい関係』 から、

『自然体の自分で付き合える関係』に変わった事を感じ、

自分の選択がなんだか誇らしく思えたのでした。

ちょっと前の私だったら、無理をしてでも行っていたでしょう。

『自分に足りない何か』を埋めるチャンスだとでも言うように・・・

                  




『やりたい事』を見つけるアンテナを日常に追加したおかげで、

やりたい事や嬉しい話、チャンスに繋がる話が

私の世界に飛び込んでくるようになりました。

しかし、それを逃したくない一心で、無理をしてしまう。

そんな自分に気が付くことが、よくありました。



自分に許可を出して世界を広げてみると、

どんどん知らなかった世界が現れる。

それは素晴らしい事でもあり、同時に自分自身が

いかに小さな存在であるかを思い知る事にもなる。



そうすると、どうなるか。

自分が知らなかった世界をどんどん知りたくなり、

そこにいる人達に追いつきたくなり、

今まで持っていなかったものを得ようと必死になり、

ようやく掴んだと思ったら更に世界は広がっていく。。。



自分の世界を広げたいと望んでいながら、

世界に合わせて自分を大きく育ててみても

世界はどんどん広がっていき、自分の存在は小さいまま。

小さい自分がここにいる人たちと肩を並べるには、

多少無理してでも自分を変えるチャンスを掴みたい・・・。

なんて、思ってしまったりするのです。


そういえば、転職した時や、新しい世界に入ったとき。

後から見たら成長につながる経験なのだけれども、

その瞬間は、やはり周りの人たちと比べて

『自分なんて・・・』という感情に襲われていたのでした。


ここではないどこかを望んでやってきたのに

そこに行ったらまた『不足感』に襲われる・・・

いったい何が幸せなのか、わからなくなってしまうのです。



『チャレンジして、チャンスを掴んで、何を得たいのか。』



それを忘れると、どんどん流されてしまい、

結局は幸せにつながらないという事を

今までの経験から知っています。

それでもつい流されてしまいそうになる時があるのですね。


それが起こるのは、

『今まで自分がいられなかった世界にふれた時』。

そこにいられる程の存在になれたんだという事で

自尊心を持つことは素晴らしい事だと思います。

だた、そこで認めているのは、本当に自分自身なのでしょうか?

『この人と親しくなれるなら、自分も結構すごい』 とか

『こんな会社で活躍できるなら、自分も結構すごい』 とか

認める基準が他人任せでは、

結局はそこに依存しているだけ。

そこにいること自体に意味を持ち、

自分なりの価値を見出す事が出来れば、

それが何であれ自分自身を認められ、

未来につながる経験になると思うのです。


よい大学を出たから、すごいのではない。

立派な会社に勤めているから、すごいのではない。

自分自身を持っている事が何より素晴らしい・・・

と、ある人に言われ、感動した事を思い出します。

私が学歴や職歴にコンプレックスを持っていた頃、

この言葉を聞いて、自分を取り戻したのでした。

自分で選択をして、自分の足で歩むこと。

それが何よりすごい、素晴らしい。

私は、それをやってきたじゃないかと・・・。



自分をしっかり持って初めて、

そんな素晴らしさを持った人達から、パワーをもらえる。

そして、そんな素晴らしい人たちに『一緒にいて楽しい』と

感じてもらえる魅力的な自分であり、

自分を大切にする事につながり、

大きな幸せにつながるのですね。


人との関係も、繋がり方も、自分のあり方も、環境も、

選ぶのは自分自身。

無理をすると、どこかに無理が出てきます。

自分が何を望み、何を得たいか。

どこまでは頑張って、どこまでは頑張らないか。

きちんと選びながら進んで行けば、

きっと間違いはないはずだと感じています。


ご飯に誘われたことからは

全然関係ない話に繋がっていますが、

たった一度のお誘いが私にそんな大きな事を

感じさせてくれるなんて。

やっぱり素敵な方なのだと改めて感謝です。


私の周りにいてくれる素晴らしい方たちに、

恥じない自分でいられるよう、

芯のある自分でいたいと思います。















今がいちばん幸せ

2008 - 05/20 [Tue] - 16:05

この一週間、大きな仕事を控え、ものすごく多忙な日々でした。

ようやくひと段落し、ほっと一息。


今日も日記を書こうと、昨夜日記帳を開き、

『そういえば、5年前は何やってたかな~』なんて事をふと思い、

古い日記を手にしました。


そこで、世にも恐ろしいものを目にしたのでした。



それは、私の『グチ日記』です。


いや、グチ日記というコンセプトで付けていた訳ではないんです。

私は長い事日記を書いていて、ここ5年くらいは書く欄が少なく

5行くらい書ける枠が3年分ある『3年日記』を愛用し、

今2冊目なのですが。



昨夜は、その初代3年日記を引っ張り出して、読んだのですね。


そうしたらですね~、殆どが、グチでした。


今、その頃を振り返ると、かなり幸せだったと思うのです。

特に大きな問題もなく、楽しく仕事をして、

それなりに悩みもあったけれど、

そんなに文句を言うような事もないような、

普通の、平和な日常でした。


なのに、その当時日記に書く『特筆すべきこと』というのは、

私にとっては『こんな嫌な事があった』

『こんな事をしなければいけない。いやだ』

という事ばかりだったようです。


フォーカスする所が変わるだけで、まったく変わるのに。

もっと、良い思い出を書いてくれていたら良かったのに・・・

とはいえ、今と違う感性を持っていた自分の姿がおもしろく、

『やっぱり日記を書いてて良かったな~、後から楽しめるな~』

なんて思いながら読んでいると、その中の一文に、

おもしろいものを見つけました。


【8月3日  暑い。いやだな~。でも、意地悪な人が周りにいない。
私の嫌がる事をする人もいない。居場所がある。
もしかして、今が一番幸せなのかも。よるごはん、うどん。】


・・・よるごはんは、うどんだったようです。


そういえば、子供のころは、いやな事を言う人がいましたね~。

見た目の欠点を変なあだ名にして言い続けたり、

嫌がる事をわざとし続けたりするクラスの男子とか。

今思えば『子供だからな~、かわいいな~』と微笑ましく思えますが、

今同じ事をされたら、耐えられるでしょうか?


・・・耐えられません!


当時も、きっと耐えられなかったけど、でも逃げ場がなかった。

言っている方はふざけているだけなんだけど、受ける側としたら

みんなの前で恥ずかしい思いをする、耐えがたい状況です。


おそらく、日記を書いた時、そんな頃に比べたら今が一番幸せだと

思ったんだろうと想像するのですが、本当にその通り。



そして、『今がいちばん幸せ』という事が、

何より素敵だと思うのです。



『もっとこうなりたい』とか、『こんな夢を叶えたい』とか、

未来をさらに良いものにしたいとは思うけれど。


だからといって、今の幸せを感じる心がなければ、

夢を叶えたとしても、こうなりたいという状況を叶えたとしても、

そこでまた足りないものを探し、『今はまだ幸せじゃない』と

思い続けるのではないでしょうか。


当時の私は、殆どのページで

『いかに今日の私が大変だったか』という事を

日記に書き綴っていました。


でも、本当は、その頃も幸せだったのです。

それに気がついた日が、たった1日だけ、あったのでしょう。

それが少しずつ増え、少しずつ自分が変わり、

気がついたら『本当に恵まれているな~、ありがたいな~』

と思える事が多くなり、そうすると『グチを言う飲み会』よりも

『楽しく過ごす会』に参加する事が多くなり、

素敵な人たちに出会ったり、そんな人に刺激され、

また自分が輝く機会をもらったり、

様々な事が大きく変わって来ました。


大人になると、子供のころのように

『逃げられない環境で、傷つけられる』という事は、減ってきます。

面と向かって意地悪な事を言われたりする機会はほとんどないし、

そんな場所から立ち去る事も、大人ならできます。


それでも、嫌な事が多かった当時の私はきっと、

自分で嫌な事を探していたのでしょう。

そして、勝手に嫌な思いをし、

そうする事で『本当の自分の居場所はここじゃない』と、

ここではないどこかを探し求め、

そこから抜ければ何か変わるような気がしていたのだと思います。



でも、本当は、自分が変われば居るべき場所も自然と変わり、

人を信じる事で、信じてもらえるようになり、

人を好きになる事で、好きになってもらえるようになり、

大切な人を大切に扱う事で、大切な人に大切にしてもらえ、

求めてくれる場所が増え、心の居場所が増え、

日記に書くグチが、思いつかなくなっていったりするという事を、

時間をかけて知る事ができたのでした。



今も、グチ日記がない訳ではないですが、その部分を自然体で

残すことで、未来の自分が何かを得るかもしれない。

だから、毎日、素直に書き続けようと思います。


これを書きながら、5年前の今日、何を感じていたのかと思い

今、見てみました。



【  5月20日   準備、つかれた  】



・・・!! 

もっと書くことあったでしょう!?







相手を思いやるという事

2008 - 05/14 [Wed] - 02:25

私には、毎年誕生日をお祝いしあう人たちがいます。

12日(日)はその中の1人のバースデーパーティーを開催しました。

そんな、とある日曜日の出来事です。



当日朝、Tさんから電話がありました。

『会社の社長が倒れたので、お見舞いに行くから今日は参加できないかも』


Tさんの会社は家族経営の小さな会社です。

その会社で起こる様々な楽しい出来事を、私達もよく聞いていたので、

その社長と面識はないものの、親しみを感じていました。


そんな話を聞き、『大丈夫?』『よろしく伝えてね!』とお見舞いの言葉を伝え、

前々からこの日を楽しみにしていた彼の娘たちと、奥さんだけが来る事になりました。


そして、その子供たちと一緒にケーキを選び、

おいしい食事を楽しみ、子どもたちとトランプをやって遊び、

『もう誕生日は嬉しくないな~』と言って照れる本人を前に

ハッピーバースデーを合唱し、楽しい時間は過ぎて行きました。


そこに、Tさんから電話が。

『今から、顔だけだすよ』 と。


やってきたTさんはいつもと変わらず、『心配かけたね~』と笑っていました。

『社長さんは大丈夫?』『どんな感じだった??』と心配する私たちに

『大丈夫だったよ。遅れてごめんね~』なんて話をしながら、

誕生日プレゼントを渡し、トランプにも参加し、

帰りたくないとワガママを言う子供たちに『明日学校だから』と

諭しながら、笑顔で帰って行ったのでした。





こんな出来事があって数日後の今日、知りました。




朝の時点で、社長はお亡くなりになっていたという事を。





『Tさんは大人だね・・・』と言いながらその事を伝えてくれた

誕生日だった本人と話しながら、色んな想いが湧いてきました。


『大丈夫だった!?』と聞かれた時のTさんの気持ち・・・

笑顔で何も言わず、最後には参加してくれた彼の気持ち・・・



私がTさんの立場だったら、どうしただろうか。

自分に起きた大変ショックな出来事を受け止めるだけで、精一杯で。

『社長が亡くなったから、今日は行けないの。ごめんね。』

『でも、気にせずに楽しんでね』

とでも、言ったのではないだろうか。


結果、そう言われた時の、誕生日の人の気持ちは、どうだろう。

そんな中で、彼の奥さんと子供たちが来てくれても、

『申し訳ない』とか『こんな大変な時に・・・』と思うのではないだろうか。

会話も湿っぽくなってしまうのではないだろうか。

でも、もし私がTさんの立場に立ったら、

そんな事を思いやる事が、果たして出来ただろうか・・・?


しかも、せっかくの誕生日だから、お祝いを伝えたいという想いで、来てくれた。

彼の奥さんも、何も知らない顔をして、真実を言わずに笑顔でいてくれた。


そんな本当の思いやりに触れ、胸がいっぱいになりました。



H社長。

Tさんはいつも、会社で起こる様々な事を、私たちによくお話してくれました。

社長の事を語るTさんは、いつも楽しそうでした。

Tさんと彼の大切な家族を支えてくれたH社長の存在を、

私たちもよく知っていました。

Tさんはいつもあなたに感謝をしていました。

私も、H社長が大好きでした。



心から、ご冥福をお祈り致します。

始まりの瞬間

2008 - 05/09 [Fri] - 23:10

昨日は私をコーチに育て上げてくれたスクール、

CTC(コーチ・トレーニング・コミュニティ)の体験会がありました。


CTCはこちら


私もお手伝いをさせて頂いたのですが、

この体験会をきっかけにコーチングを学ぶ事を決めた

私にとっては、感慨深いものがありました。

長い期間をかけて学ぶ内容を、

短い時間でわかりやすく伝えるミニセミナーのような感じで、

すっかり私も初体験の方々と、一緒に楽しんでいました。


『説明会』ではなく『体験会』である事の意味は、大きいです。

どんな事でも、体験して実感しないとわからないものですが、

2時間弱の時間のなかに、体験&実感が盛りだくさんです。

ご興味のある方は、是非行ってみてくださいね(^-^)



私のコーチ生活の始まりも、この体験会でした。



コーチングというものの存在は知っていましたが、

私には縁のないものと思い続けていた頃。

それから長い時間が経ち、

偶然、何の意図もなくホームページを見つけただけでしたが、

これこそ本当に私がやりたかった事だ!と急に思い立ち、

翌日が体験会だったのですぐに申込み、

仕事帰りに参加して、感動し、学び始め、変化していき、

自分らしい生き方を見つけ、それをどんどん現実化し・・・

更に想像すら出来なかったようなものを沢山手にいれ、

そして『今』を迎える事ができました。



私のコーチ生活の始まりは体験会でしたが、

それ以前に

偶然CTCにたどり着く日にネットを検索した瞬間や、

その昔、検索するという方法を覚えた『仕事』が発生した瞬間、

『このボタン、(←ENTER)押しても壊れないですか・・・?』とか言いながら、

なんとか仕事をこなし、ネットの使い方を覚えた瞬間・・・。



その、ほんの『一瞬』が今に至る道を築く

材料になっていたんだと、今ならわかるのです。

その当時は、まったく何も分からず、

『インターネットって、何!?そんなの覚えるの、めんどくさい・・・』

と思っていただけなのですが・・・よくぞ覚えた、過去の私。

先々良い事があるからね!と、伝えてあげたいです。


コンピューターというだけで、無理!!と思った頃もありました。

いまこうしてブログを書いているなんて、当時の私には奇跡です!

しかし、奇跡に思えた事も、今はあたりまえのように出来ている。

ということは、今『こんなの出来たら、奇跡だよ~』と思うような事も

ちょっと先の未来ではあたりまえになっているかも知れないですね。



ひとつの始まりの瞬間、『体験会』に触れたことで、

どんなに無理だと思う事も、しんどい事も、めんどうな事も、

いつか『あの一瞬が今を作った』と思えるような

素敵な素材になるという事を、思い出すことが出来ました。



そんな場所にいられた事に、心から感謝です!



新しい場所を求めるという事

2008 - 05/06 [Tue] - 22:58

今日、家の中を整理していたら、古いメモ帳が何冊か出てきました。


たぶん、4、5年前のもので、仕事を覚えるために色々と勉強していて、

ページ一面にびっしりと、私にしか読めない字で、レイアウトもフリーで

書きなぐってあります。


先輩の仕事を見ながらメモをしているので、きれいに書いている暇などない。

でも、それを見ると、はっきりとその時の情景が浮かんできて

ちゃんと内容を理解できる。


これこそ、本当の意味で機能しているメモだな~、と感心してしまいました。


昔、小学生の頃、私はノートを書くことが本当に苦手でした。

先生の黒板の字を写すだけなのですが、それが綺麗に書けない。

行からはみ出したり、曲がったり、色使いが間違ったり。

今思えばどうでもいい事なのですが、全体的に見て綺麗じゃないと嫌で、

だんだんそのノートを使うのが嫌になり、新しいノートを欲しがっていました。

このノートは失敗した。新しいノートにしたい。

そうすれば、きっと今度こそ綺麗に書けるはず・・・と。


結局そう頻繁に新品が買ってもらえる訳もなく、

小学生で、イメージ通りに綺麗に字を書ける能力もなかった私は、

嫌々そのノートを使い、どんどん汚くなっていき、

勉強自体も嫌になり・・・(←言い訳)



とにかく、『新しいノートになったら、今度こそきれいに書くぞ!』と

毎年毎年思っていました。



それから長い時間がたって、私には『罫線にそって、きれいに書く』ことが

合わないという事に気がつきました。

それよりも、文字を絵のように、見て、聞いた事を自由に書くと、

ノートは確かに汚いけれど、しっかりと後に残る記録となる。

その方法を見つけてから、ノートは最後まで使いきれるようになりました。

何を書いてあるか、私にしかわからない状態ですが・・・。


変えるべきだったのは、ノートではなく、使い方だったのですね。


何かがうまくいっていないと思うとき、その環境のせいにしたり、

条件のせいにしたりする事、よくありますよね。

ここではないどこかであれば、きっと私はもっと輝けるのでは・・・と。

それに似てるな~なんて、ふと考えてしまいました。


今、色々と新しい事にチャレンジしようとしています。

その度に、

①何かうまくいかない状態から、逃げるためなのか

②新しい『自分の活かし方』をしようとしているのか

どちらなのか、自分に問いかけ、②の時のみ進んでいこうと決めています。


①であれば、小学生当時と何も変わらないですからね。。。







途中から、始める

2008 - 05/05 [Mon] - 01:39

今日は、『仮面ライダー THE NEXT』のDVDを見ました。

たまたま、見る機会に恵まれたもので・・・

それが予想外に面白く、切なく泣ける話で。

見て良かったです。


『仮面ライダー THE NEXT』をご存じない方に補足しますが、

仮面ライダーって、色々シリーズがあり、今も放送されているのですが

昔の、一番最初の『仮面ライダー』(赤いマフラーのやつ)を現代の設定で

リメイクしたのが『仮面ライダー THE FIRST』で、その続編が『NEXT』です。

映画が確か、去年あたりにやっていたんだと思われます。(よく知らない)



今まで仮面ライダー自体は見た事がなく、FIRSTを飛ばしてNEXTを見ましたが、

出てきたキャラクターの設定が気になったので、今度はFIRSTを見てみたいと思います。


私は、このように『2作目から見る』とか、『途中から見る』という事を、

特に狙っているわけではないのですが、よくします。


例えばドラマなどは殆ど見ないので、新番組のチェックなんてする事はなく、

どのドラマが面白そうかと考える事もないので、大抵第一話は見逃します。


その後、たまたまテレビをつけた時に放送されていたものを見て、

あらすじや登場人物を知らないくせに、感動して泣いたりしつつ、

その次の回からしっかり見るのです。

更に面白ければ、第一話のDVDなどを入手したりも。


『なぜ、こんな面白いものを、第一話からリアルタイムで見なかったんだ・・・』と悔やんだり、

『どうせ今更見ても意味がないから、見るのはやめよう』なんて事は、思いません。

途中からでも、こんな面白い作品に出会えて良かった!と思えるし、

得られなかったもの(第一話~数話分)は、後から埋める事もできるのです。

もちろん最初から見られる方が良いですが、

その当時は見ようとも思わなかった、私には必要のないものだったので、仕方ないです。



しかし、不思議な事に、『何かを勉強する』とか『何かにチャレンジする』という事になると、

『どうせ今からやったって、既にやっていた人達には追いつけないし・・・』

そんな想いが湧いてくる自分がいる事があります。


今更始めたって・・・。とか、全部きっちり最初から、取り組める準備が出来てから・・・、とか。

そんな風に考えているうちに、チャンスが逃げていく。


だったら、『やりたい』と感じた時に、とりあえず始めて、足りない部分は遡って補って。

物語の第一話から数話分が足りなくても、最終的には作品全体を楽しむ事が出来るように、

人生のすべての分野においても『完璧なスタート』を目指さず、

柔軟にチャレンジしていく事が出来たら、最終的に吸収するものは

どれくらいあるか・・・と考えると、それはもう、無限大。


仮面ライダーだって、シリーズ最初から見ている人と比べたら、今更です。

でも、別に何にも問題ない。誰にも迷惑はかけないし、十分に楽しめる。

『2作目は、1作目を見てから。でもその前に、原作を知ってから・・・』なんてやっていたら、

一生見る事はないでしょう。



これから出会う、様々な事柄においても、

『途中からでも、今更でも、興味が湧いたらとにかく、やってみよう』 と、

ライダー達が戦う場面を見ながら、考えてしまいました。



全然関係ない話なんですけどね・・・

思いがけない所から、色んな事を感じる今日この頃。






初体験!

2008 - 05/03 [Sat] - 22:09

今日は、人生で初めて足を踏み入れる場所に、行ってきました。


それは・・・


『寄席』です。

浅草に、寄席を見に行ってきました(^-^)

浅草演芸ホールのHPはこちら!



特に落語が好きな訳でもなく、

ふと思い立って、浅草に行こうという事になり、

そこから『落語でも見てみようか??』という気持ちになり、

軽い気持ちで行ってきました。



落語家さんといえば『笑点』に出ている方々位しか知らないし、

落語はきちんと聞いたことがなかったのですが・・・



HPを見ていただくとわかりますが、

今日は大人1名3,000円。

で、丸一日でも何でも、好きなだけ居ていいんです。

午前の部だけでも、漫才師やマジシャンや、

曲芸師や落語家などの豪華な面々が

20組以上出てきて、15分くらいで入れ替わり、

10時半の前座開始から16時半のトリまで、6時間!

さらに、そこから夜の部へと続きます。

今日は、午前の部を途中まで楽しむ予定でしたが、

結局時が経つのも忘れて6時間滞在・・・。


プログラムを見ただけで『寝ちゃわないかな~・・・』と

ちょっぴり心配していたのですが、

そんな心配は全く無用でした。


あっという間の6時間、笑いっぱなしです。

いやほんと、すごかったですよ、プロは。


GW特別講演という事で、テレビでもおなじみの方が

出ている豪華な顔ぶれで、場内も立ち見客でいっぱいでした。



ひとつひとつのネタの面白さや、

演者さんの芝居の素晴らしさはもちろんですが、

私はもうひとつ、別の視点で感動してしまいました。



こんなに楽しく、

そして恐らく大変な勇気を必要とするお仕事を、

好きでやっている人たちが、こんなに沢山いるなんて!・・・と。


芸人さんが、世の中に大勢いることは、

もちろん知っています。

そして、きっと大変な苦労もしているんだろうな~という

イメージもしていました。

でも、今日舞台を見て、本当にその15分間に賭ける

沢山の輝く人たちを見て、本当に感動したんです。



おそらく20代前半の前座さんから、

90歳近い大御所まで、みんな舞台に上がると、

仕草や言葉、空気感など全てに全神経を集中し、

『お客様に笑っていただく』という目的だけの為に、

その瞬間を生き切っている感じが伝わってきます。


スポーツ選手やアーティストの方なども

きっとそうなのかも知れませんが、

ものすごいプレッシャーの中であっても、

自分に与えられた場で、最高のパフォーマンスをする。


常に評価や比較をされる世界で、

それでもその場所を選んで生きている人たちは、

その瞬間に全てを賭けて、今を生きている。


だから、感動を与えるのだと思います。

感性が動かされるから、感動ですよね。

笑いも、ひとつの大きな感動。

それを6時間も与え続けてもらって、

今日はとっても満ち足りた気持ちです。


私は、どんな場面でこの人達のように

今を生きる輝きを放っているのか・・・

どのように、輝いていきたいのか・・・

大笑いの中で、深く心に響くテーマをまたひとつ、

見つけさせて頂きました。


これからも、今を生きる人たちの、勝負の瞬間に触れ、

笑いのパワーをもらえる寄席には、定期的に訪れたいと思います。


またひとつ、『渋い趣味』が増えてしまいました・・・。


読書をしてみて想う事

2008 - 05/01 [Thu] - 23:07

ずっと長い間、読書は苦手だったのですが

ここ数年、ようやく読書ができる人間になってきました。


一時期はビジネス書にはまり、『私も起業するぞ!』と思ったり、

一時期は小説にはまり、『私も小説家になるぞ!』と思ったり、

・・・はい、そうです。単純な性格なんです・・・。


最近読んでいるのは、

『古事記』です。

ビギナーズ・クラシックスという角川書店のシリーズで、

とってもわかりやすく書いてあるんです。


内容に関して思う事を、浅い知識で述べるのはやめておきますが

すごいと思うのは、

『これを書いた人が、実際に存在していた』という事。


大昔から人間がいたという事は周知の事実だし、

今私が生きているという事は、もちろんご先祖様が

存在していたからに決まっているのですが、

こうしてその時に記されたものが、何千年もの時を越えて

今私の目にふれているという奇跡を思うと、

なんだか本当にすごい事だな~と、感動してしまいました。


全ての歴史上のものが、同様の意味を成しているのですが、

それを語り継いだ人や保管した人たちの努力もさることながら

意味のある一歩目は『記した事』にあると思います。


今見れば貴重な歴史的文献も、当時は日常を綴った

日記だったりする。

そう考えると、『残すほどでもない事』に思えるような日常も、

実はものすごい財産になる可能性も十分あるんですよね。


今起きている事や、目の前にある事実。

それは今、あなたや私にしか見えていない唯一の世界。


全く同じ映像を、同じ感性で、二人以上の人間が見る事は不可能。

微妙に見る角度が違い、受け止め方が違い、事実が違う。


それでも、今見て感じている事をどこかに記録していけるとしたら、

後にどれだけの財産を残すことができるのでしょうか。


それは、『古事記』程の歴史的遺産となる事を目指すのではなく。

誰かに伝える事が目的ではなくても。


今、この瞬間に経験している事、周囲で起きている事を

自分の歴史博物館に、大切に保管出来るように記していけば

きっとすべての事が意味を持ち、

すべての事が、自分自身を形成する大切な要素として

残っていくのではないでしょうか。


辛い事も、今の悩みも、楽しみにしている事も、その裏にあるちょっとした不安も。

ちゃんと自分の歴史として、残していきたい。

出来れば、人生が終わる前の数秒間に、その博物館を見渡して

意味のない瞬間はなかったと、心から感じたい。


読書について書こうと思ったら、

全然違う話になってしましましたが。

今こう記しているという事は、きっとこれも

私の歴史の一部になるのでしょうね。



う~ん、そう言っているそばから、

昨日の夕食が何だったかすら思い出せない私がいるのも、

また事実・・・




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プロフィール

yuko

Author:yuko
◇・◇・◇・◇・◇・◇・◇・◇

接客・サービス・営業職など
人と関わる仕事のプロとして
数々の経験を積んできました。

現在は、人の生活の基盤となる
『住まい』 に関わる仕事を
しています。

それと同時に。

昔は、全く感知する事が
できなかった『日々の幸せ』を
感じるアンテナをピンと張り、
実感する日々を送っています。

人数限定にて、
コーチングセッションも実施中。

◇・◇・◇・◇・◇・◇・◇・◇

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